旅行も良いけど〜 やっぱり我が家が1番 今年もいろいろありました その1

昨日のアクシデントは、王子パパの手配でお昼過ぎには完了

ありがとうございました😊

 

私達が留守だったので王子も退屈な日々だったらしく、やたら絡んできます😊

 

明日は娘が仕事終わりから帰省するとの連絡

またまた賑やかになります

 

 

今年一年を振り返ってなんといっても年明けに母が亡くなった事ですね

 

私とは母30歳差

なので60年間一緒にいました

 

本当は姉に婿養子を取らせて暮らすつもりで、姉にはお稽古ごとから学歴までお金も手間も全てつぎ込んでいました

私と姉は7歳違いで、私はと言えば完全放置、お小遣いももらわず、習い事もやりたいと言ってもやらなくていいと怒られる感じでした

 

そのお陰で自立心が養われたと言うか、親にお小遣いをお願いするよりアルバイトした方が干渉される事もないので、お正月とかは時給も良いのでぜんぶバイトに時間をつぎ込んでいました

 

そんな姉は婿養子など取る気はさらさらなく、たまたまチョットした資産家の長男と結婚する事になり、両親、弟、祖父母と3世帯同居となりました

 

色々結婚までにしきたりがあり、これまた母は父の退職金を全てつぎ込んだわけですよ

 

姉は30歳で結婚

私は25歳で結婚

 

7歳違いなので姉が結婚して2年後が私〜

親はお金すっからかん(母と姉が使ってしまった)

それで私の時は姉の10分の1程度で済ませたようです

私の相手は次男だったのでマスオさん👌、子供ができて自宅を二世帯住宅に建て直し

私が同居する事になりました

 

二世帯住宅なので費用もそれなりにかかりましたが、母が半分出すと言うのでそれを信じて、

実行しました

ところが同居して10年後、父が亡くなったらいきなり援助なし宣言‼️

いや〜マスオさんの主人にも言えず、本当に人生で最大のピンチでした

 

どう切り抜けたのか覚えていないぐらい、収入はあるものの諭吉さんが止まる事なく飛んでいき〜

人生どん底ってこの事ですね

 

私は大学には行かず、専門学校で技術を身につけました

姉が多分就職氷河期で大学出ても就職がなく母と喧嘩していましたから、やっぱり技術でしょ〜と専門職のお仕事についたわけです

 

母の生き様は好きではありませんが、1つだけ感謝している事があります

私の子供3人を一般常識のある子供に育ててくれた事です

私はお金を稼ぐ事はできますが、例えばお裁縫とかお弁当作りとか苦手で、子供達もお婆ちゃんの方がいいといつも言っていました

 

モジャがお袋の味はデリバリー〜

思わず上手い〜 座布団1枚と言ってしまいました

 

平成男子は家事の分担は普通でしょうが、昭和は、男子厨房に入らず〜が多かったです

共働きの場合、時間をお金で買う感じですね

駅近くに駐車場を借りて(自腹)帰りに買い物寄れるようにしたり

テイクアウトの予約をして作る手間を省いたり

とにかく1日24時間では足りないので、分刻みで行動する習慣はありますね

 

そもそも私の実家が物凄くカカア天下だったので姉も私も反面教師で亭主関白に憧れていたのかもしれません、何もしない旦那さんを製造してしまいました

 

それはさておき、晩年母は人生で1番幸せだった時間は孫3人と毎日公園に行って真っ暗になるまで遊んでいた時だと言っていました

自分もまだ元気で、おじいちゃんも居て、ご近所さんにもお友達がいて〜

それが一番の幸せだった様です

 

母と同じだけ人生が残っているのなら

ほぼ30年〜

 

有意義に過ごして行きたいものです〜